Article_002_アフリカはパリから始まっていた
シャルル・ド・ゴール空港 Terminal 3
2004年1月下旬の某日、私はAくんとパリのシャルル・ド・ゴール空港Terminal 3にいた。どのように待ち合わせたのか覚えていないが、覚えていないということは、迷うことなく会うことができたのだと思う。もしかしたら、Aくんが、メラニーのアパルトマンの前まで迎えに来てくれたのかもしれなかった。
Terminal 3は、出発四時間前にも関わらず、“ごった返す”という言葉がぴったりの状況だった。そこにいる多くの人が、赤、青、黄、緑など鮮やかな原色でデザインされたアフリカンプリントの衣服を身につけていた。女性はワンピースやツーピースのドレス、それとお揃いの布を頭に巻いている。男性は既製品の服を着た人も結構いた。
空間には、彼ら彼女らが肌や髪に塗っているオイルの甘くて少しスパイシーな香りが漂っていた。みんな大きな荷物を携えていた。明らかに重さが規定を超過しているように見える荷物も多い。これだけの荷物をすべて計量するのだ。これから航空会社の職員と乗客の間に交わされるやりとりを想像して、チェックインの時間がかなり早めに設定されていた意味を理解した。
「まるでアフリカみたいだね」
「うん」
そんな会話をAくんと交わしたかどうか、今となっては思い出せないが、そう思ったことは確かだった。まだ行ったことのないところなのに、私の中にはすでにアフリカやアフリカの人々のイメージが象られていた。2002年から2003年にかけて関わった、マリ国立民俗舞踊団の日本への招聘活動が、マリの人々の考え方や行動を知る機会となり、それが“アフリカ”の“なんとなく”のイメージを形成していたのだった。そしてその招聘活動こそが、私をマリに導いたのだ。
Terminal 3は小さな航空機やチャーター便などが発着するところで、Terminal自体も小さい。この混雑を見ると、私が乗るバマコ行きに限らず、アフリカの他の都市へ向かう便が多数あるに違いなかった。
パリのアフリカ
前日Aくんに連れて行ってもらったChâteau Rouge(シャトー・ルージュ)は、パリのアフリカと言われている。駅前にはアフリカの食材を売る商店や露店がずらりと並び、ルーツがアフリカの人々が多く行き交う街らしい。Aくんとの待ち合わせがうまく行っていたなら、ライブの前に少し街中を散策し、マリに行く前にアフリカっぽさを味わえるはずだった。ところが、私が遅れたためにすっかり日が暮れてしまい、周囲の様子もよくわからないままにライブハウスへ駆け込むことになってしまった。しかし、いまここTerminal 3で目にしている光景は十分にアフリカで、私の気分は否応なく上がった。どのみち数時間後にはバマコに着いているのだけれど。
パリはマリの首都バマコに次いでマリ人が多い街なのだと後で人から聞いた。外国の中で、ではなく全世界で、つまりマリ国内でもバマコを除けばパリのマリ人の人口を上回る都市はないということだ。この情報が本当なのかどうか、確認はしていない。
出発までどれくらい待たされたのか覚えていない。Aくんとどんな会話をして時間を潰したのかも、覚えていない。Aくんはともかく、私はイライラしていただろうか。それも覚えていないが、たぶんその状況を楽しんでいたのではないかと思う。何しろそこはもうすでにほとんどアフリカだったのだから。
Article 3へつづく